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第二話 十七年ぶりの幼なじみとの再会

Autor: 海野雫
last update Fecha de publicación: 2026-07-03 08:51:09

 翌朝。澪はソファで一夜を明かし、全身が軋むような痛みに襲われていた。

 浴室の鏡に映った自分は、まぶたは腫れ、肌は乾ききり、生気を失っている。その姿から、彼女はすぐに目を逸らした。

 いつも通りに出勤準備を整え、会社に向かった。

 澪が勤めているグロウセオリーは美容系EC会社だ。美容に力を入れているインフルエンサーが、グロウセオリーで取り扱う商品を紹介してくれたことから、業績は上向きつつある。澪はグロウセオリーで新規取扱ブランドの選定やメーカーとの交渉を担当している。

「おはようございます」

 澪がオフィスに足を踏み入れた途端、空気がすっと凍りついた。

 ――なんだろう、この空気は……。

 同僚たちが、なにやら囁きながら澪をちらちらと見ている。

 なにか顔についているのだろうか。それとも、昨日手入れをしなかったのがバレているのか。

 澪は指先をそっと顔に滑らせた。確かにがさがさだ。グロウセオリーに勤めているのは女性社員が多いが、みんな美容にうるさい人ばかりだ。だから、他人のちょっとした肌の変化にも目ざとく気づく。

 澪は、小さくため息をついてデスクに向かった。するとすぐに一年先輩の篠宮奈央がやってきて、澪の腕を引っ張った。

「澪ちゃん、ちょっとこっちきて!」

「え?」

 わけがわからないまま、奈央に引っ張られて給湯室へと向かう。

 奈央は周りをキョロキョロと見渡し、声をひそめて言った。

「澪ちゃん、今ね、社内に変な噂が流れてる」

「噂?」

「うん」

 奈央は息を吸って、キッと目に力を込めて澪を見つめた。

「あのね。落ち着いて聞いて。澪ちゃんが婚約破棄されたって噂が流れてるの」

「な……っ!」

 奈央は澪の両腕を握った。

「嘘だよね? 親友に寝取られたとか、結婚式もそのまま彼氏さんとそのお友達が会場を使うとか、全部嘘だよね?」

 澪は奈央の言葉の意味が理解できなかった。まるで水の中で聞いているようにぼんやりとしか聞こえない。

 たった一晩で? なんで?

 昨夜起きたことだ。もしかしてあのカフェに誰か社内の人間がいたのだろうか。

 喉がカラカラに乾いて、うまく言葉が出てこなかった。ただ、口を開けたり閉じたりするしかできなかった。

 ようやく、口にした言葉は掠れていた。

「本当……です……」

「え?」

 澪を握りしめていた奈央の手の力が抜け、だらりと下がった。

「そ……う、なんだ……」

 澪はこくんと頷くしかできなかった。

「で、でも! 澪ちゃんは仕事ができるから! 一緒に仕事、がんばろうね!」

「はい……。あたし、もう、恋はしない、って決めました」

「え……。そこまで……」

「もういいんです。誰も信じられないから……」

 澪の口から出た言葉は、温度がなく冷たかった。

 給湯室の蛍光灯が、いつもより冷たい色を放っているような気がした。

 奈央はしばらく澪を見つめてから、ふっと表情を引き締めた。

「……わかった。今は無理に元気出さなくていい。でもね、澪ちゃん。その相手の男も、寝取った女も、絶対そのうち痛い目見るから。あたしが保証する」

 奈央の声には、面倒見のよい彼女らしい確かな芯があった。

 澪はデスクでモニターに向かい、黙々と作業を続けた。周りからの囁き声が耳に入ったが、聞こえないふりをした。

 午後の仕事が始まったとき、上司が慌てて澪たちの部署にやってきた。

「みんな聞いて。新規取扱ブランド候補のCEOが今から来社することになって、商談をすることになったの」

 部内はざわめいた。CEO自ら来社して商談をすることは、めったにない。きっと無理難題を押し付けられるに違いないと、同僚たちは敬遠していた。

「そんな、急に言われましても……」

「私も仕事が詰まっていて、対応できかねます」

 同僚たちが次々に辞退する中、澪はすっと手を挙げた。

「私がやります」

「朝倉さん、助かる! 朝倉さんに任せとけば安心だもの」

 上司はホッとした表情を見せた。

「はい。お任せください」

 今は、社内の噂話から遠ざかりたかった。その一心で誰もやりたがらない仕事を引き受けたのだ。

 澪はノートパソコンを抱えて、すぐに会議室へ向かった。そこで、ブランドの資料に目を通し、内容をしっかり頭に叩き込んだ。

「ダーマコード……AIを使って肌診断を行い、天然由来成分を使った肌タイプ別スキンケアを販売、か。すごい! 手作りコスメの発想を、プロの技術で応用してるのね」

 資料に目を通しながら、澪は胸が高鳴った。自分が手作りコスメを作っているからこそ、このブランドのよさがよくわかる。

 仕事に集中していると、ほんの少しだけ、昨日のことを忘れていられた。やっぱり、自分にはこれしかない。資料の文字を追ううちに、ささくれだっていた心が、わずかに凪いでいくのを感じた。

 そのとき、会議室の扉が開いた。

「お待たせしました」

 会議室へ入ってきたのは、背が高く、眉目秀麗な男性だった。

 ――あの人、どこかで見たことが……。

 数秒間、男性の顔を見つめる。途端に、心臓がひとつ大きく跳ねた。指先がすっと冷たくなり、手にしていたペンが、かたん、と机に落ちる。

 ――嘘。なんで、この人が。

 その男性こそ、十七年前に連絡が途絶え、二度と会えないと思っていた、高宮仁だったからだ。

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